孫娘、農家になる
城下町と柚子の里
深まる秋の趣、紅葉のえんじ色が池畔をも染める日本庭園。わびさびを感じさせる兼六園を車で通り過ぎ、浅野川を横目に緑に囲まれた里山に向かう。目指すのは、金沢の特産物“金沢ゆず”を栽培する「きよし農園」だ。
車を降りると、祖父母の家を思い出すような懐かしく重厚感ある日本家屋から、農園の代表である多田礼奈(ただれいな)さんが出迎えてくれた。
亡き祖父きよしさんの名前が付けられたこの農園は、“この地をゆずの名産地にしたい”というきよしさんの想いと共に、当時23歳だった孫の礼奈さんが受け継いだ。今では金沢ゆずを栽培する「金沢柚子部会」の会長も務めている。部会のメンバーや周囲の農家は70~80代が中心で、若いと言われる農家ですら50代。若くして金沢の農家を牽引する礼奈さんの凄さは、第一印象から伝わってきた。
日進月歩
礼奈さんに農園に連れて行ってもらうと、あたりいっぱいに広がる柚子の香りに出迎えられた。黄色く色づいた実が一面を染め上げ、この空間だけ別世界の様に感じる。“映える”とはまさにこの事だ。
金沢ゆずの特徴は、ずばり濃厚な果汁と香りだ。皮が厚くハリがあるため、他にないほど芳醇に育つ。皮がボコボコとしながらもハリが出るのは、里山の寒暖差に秘密がある。昼は南斜面で日当たりが良い一方、夜になると山間の気温は急激に下がる。昼夜の寒暖差に耐え忍ぶ実が栄養を蓄えることで、凝縮された果汁と香りが生まれるのだ。さらに、近くの医王山(いおうぜん)からはミネラル豊富な水が流れ、火山灰が堆積した土壌は通気性が良く、排水性と保水性に優れている。
しかし、金沢の環境も良いことばかりではない。
11月中旬になるとあられが降り始める。実があられで傷つけられ、傷ついた箇所は腐敗しやすくなる。そのためあられが降り始める前までに収穫を終わらせないといけない。また、反対に雨があまり降らないこともあり、暑さで実が完熟前に落下することもある。
「土を整えることで、果実の細胞が整う」と礼奈さんは語る。土づくりにかける礼奈さんの情熱は計り知れない。年に2回土壌検査を行い、何が不足し何が余剰しているかを調べる。人間でいうところの血液検査だが、健康診断は年1回が相場だ。検査結果をもとに、土に最適な栄養素を与えるため約8種類の肥料を調合して使用している。しかし、昨今の肥料高騰は著しく、肥料の一部を変更することも検討している。青果の価格を上げないための努力が涙ぐましい。肥料は毎年3月に基となるものを2~3t手作業で撒いていたが、これがかなりの重労働だった。2023年3月に機械を導入し、効率化が実現した。
農家の未来
昨今、さまざまなものが値上りしている。農業も例外はなく、肥料や資材、輸送費など全てが値上りしてしまい、農園経営に負担をかける。企業のように売価に価格転換できないことも農家の頭を悩ませる。農作物は買い叩かれやすいのが現実だ。
“安いスーパー”や“安くて美味しいもの”を称えるテレビ放送がされると、疑問を感じると礼奈さんは言う。良いものが正しく評価されれば、それは価格にも反映されるべきである。作り手にとって、売価は評価なのだ。一生懸命作ったものが、安く売られることは悲しい。“農家は儲からない”社会がさらなる農家不足を招いていると思うと、心が痛んだ。
礼奈さんはメディアに露出することも厭わない。なぜなら、農業の実情を知って欲しいのだ。そう考える農家は多いが、自ら発信できる者は多くない。礼奈さんは自身の農園や金沢の農業だけを見ているのではなく、日本の農業の未来を見ているように思えた。
わたしにできること
自然の恵みと農家の努力で育てられた金沢ゆずは、年々ファンを増やしている。その美味しさもさることながら、礼奈さんの話を聞くと、私も金沢ゆずを広めたい気持ちに駆られた。23歳で農家を継いだ礼奈さん。23歳といえば、一般的には会社に入ったばかりで右も左も分からない頃だ。私が23歳の頃、その決断ができたとは思えなかった。だからこそ、何か力になりたいと思ってしまう。応援したいと思わせるのは、その人柄がなせるものだ。
若くして大きな決断をした礼奈さんの笑顔は、これまでの苦労や重責を感じさせない朗らかなものであった。農業を牽引するそのあり方に、私もやる気が焚きつけられた。