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よみもの

2024-02-13

絶景 クジラが泳ぐ島

東京から1,000㎞の離島

そこは東京都内から1,000kmも離れた島である。世界自然遺産にもなった小笠原諸島である。島を走る車のナンバープレートが品川ナンバーで驚いた。
小笠原諸島への交通手段は旅客船のおがさわら丸のみである。片道24時間かかるので飛行機でヨーロッパに行くよりも時間がかかる。
高校時代、ドイツでプロサッカー選手を目指していた私は昔、20時間のバス移動を経験した。その時は寒さに震え、山道に酔い、トイレを我慢した。この経験が頭を過ったが、おがさわら丸にはトイレにシャワー、ベッド、レストランさえあるので大丈夫だと油断していたが、想像以上に波が激しく、短時間で酔ってしまった。


24時間の旅を終えて到着したのは父島である。小笠原諸島の中心的機能を担う島で活気がある。訪れた10月ともなると京都では秋の訪れを感じていたが、小笠原諸島に着いて真夏に逆戻りした。ただし、南の島らしくカラッとした気候で汗をかいても嫌な気がしない。
今回の目的は母島での小笠原島レモンの収穫支援である。波揺れした体のまま、ははじま丸を乗り継ぎ、再度2時間の船移動をして母島に到着した。母島でも父島と同じように船の到着を待ってくれている人達が沢山おられた。この光景が島の名物でもある。

島の人々とのサッカー交流

小笠原諸島を訪れたのは2022年カタールワールドカップ前である。誰が日本代表に選出されるのか島の方々も強い興味を持たれていた。農家、農協、歯医者、林業の方々など皆がサッカーの話に夢中である。 
今回、サッカーイベントも大切な目的であった。ブンデスリーガの選手が来ると私の参戦が数ヶ月前から島では噂となっていた。来島の前に肉離れを起こし、ゴールキーパーに徹する事になり、少々、申し訳ない事となった。


色々な職種の方々が島の彼方此方から集まり皆でサッカーボールを蹴る。「宝チャレンジカップ」として、母島チームと父島及び我々チームでサッカーを通して交流を持つ場は新鮮だった。老若、男女を問わず、皆でサッカーボールを追いかけた。想像を超える真剣勝負である。何事にも真っ直ぐに向き合う姿は小笠原諸島に住む方々の島魂である。


5対1で母島チームに私達は負けてしまったが、素晴らしい笑顔と汗を共有する事ができた。次回はリベンジしたいと密かに思っている。サッカーイベントの後は島の方々に交流会を開いて頂いた。島の方が家から手料理を持ち寄って集まる光景は本土では見られない。とても嬉しかった。小笠原島レモンで味付けされた料理を楽しみながら、島の方々はお酒を豪快に飲まれた。熱い方々とサッカーとお酒、食事で交流できたのは非常に貴重な経験となった。

小笠原島レモンの収穫

小笠原で栽培されているレモンはマイヤーレモンとされており、オレンジとレモンを掛け合わせて作られた品種だと考えられている。果皮がオレンジ色に近く、濃い黄色をしている。一般的なレモンより大きく、丸みがあり、果汁分も多いのが特徴である。このマイヤーレモンと同じ品種と考えられるレモンを菊池雄二という方がミクロネシアのテニアン島より八丈島に持ち帰り菊池レモンと名づけた。島で色々と話を伺うと諸説あるが、このレモンが1973年に小笠原に導入されたのが小笠原島レモンの始まりとされている。小笠原島レモンの一番の特徴は熟す前の緑色果のうちに収穫する事である。独特の青い香りが食味の際に癖となる。


私が収穫支援をさせて頂いた圃場は小笠原島レモンの成りが良く1日で900kgも収穫できた。水はけが良くなるように赤土の緩い斜面で島レモンは栽培される。かがみ腰になりながら1個1個収穫するが、ヘタ部分を傷つけるとそこから腐りが発生するので、枝部分を2回に分けて切り、島レモンの実が傷つかないように慎重に収穫する。慎重に収穫しても大半は加工用となる現実がある。私達に課せられた使命に改めて身の引き締まる思いである。母島ではオガサワラオオコウモリの被害が年々増えている。レモンの葉が好物で新芽を特に好む。コウモリ対策もしながらレモンは栽培されている。


この年、害虫被害や水不足、シーズン前の台風の影響でレモンの収穫量がとても少なかった。農家の方々に「少なくてごめん!」「来年は頑張るから!」と言われた顔が忘れられない。加工をする立場として、その果実を1つも無駄にしてはいけないとプレッシャーを感じつつ、毎年、小笠原諸島から届く緑色の丸いレモンの果汁を搾るのが楽しみである。

チームワークの大切さ

サッカー交流と小笠原島レモンの収穫支援で得た学びは「チームワークの大切さ」であった。母島の人口は約450人で皆が知り合いである。この土地では皆が切磋琢磨して職業に関係なく全員が一丸となって島を盛り立てている。


そして、東京から1,000km離れた島で育てられた小笠原島レモンと一緒に私達は同じ船で本土に向かう帰路についた。東京都内から京都に届き、私達の工場で加工される。小笠原で大事に育てられた果実は京都で加工されて、その一部は小笠原諸島に還る。これからも農家の人々と私達のチームワークで良い商品を作り続けたい。これからも農家の皆様の事を考えながら果実を大切にしたい。私の人生にとって貴重な経験となった5泊6日であった。ツアーやイベントを通して、私のような体験が出来る機会が多くの人に得られる未来があれば良いと思う。

[文章]生産部 山本